2018/10/09

Rie’s Episode:7

~自分自身を受け入れるということ~

 
 悩みを抱える人と向き合う・・・。
実は、このことを決心するまでに考えようによっては20年以上の歳月がかかっています。
でも覚悟を決めたのは、母を見送り、年齢が人生の折り返し地点を過ぎたこと。
そうしたタイミングの中で私自身が「生命の樹」で自分自身を知り、持って生まれてきたものを理解すると、これまで経験してきた数々の不思議な物事がストンと腑に落ちたからでした。
 
 
 
***
 
 
 企業のジュエリーデザイナーからジュエリー作家へ転身したことは、自分で決めた事とは言え平坦な道のりではありませんでした。
優雅に簡単に個展をしているだけのように見えるらしいのですが(笑)、
現実はそんなものではなく・・・すべて手探りで、いろいろなやり方を試行錯誤しながら道なき道を進んできました。
「創作」ということ自体が「無から有を生み出すこと」であり、ゼロから1にすることがいちばんエネルギーを要するということ。
これは、カバラに関する書物から知ったことです。
私はそんなことは全く意識することなく、ただただジュエリーを生み出してきました。
らず知らずのうちに「目に見えない世界」に対して感覚を研ぎ澄ましていったのかもしれません。
・・・元から持っている資質なんてことは一切考えたことはないまま。
 
そして、個展に来る人たちの中には、純粋にジュエリーを求めてくださる方だけではなく・・・
なぜかバランスを崩した人というか、精神的に不安定な人が常識的な限度を越えて接近してくることが多々ありました。
みんな見た目はごく普通の若い女性で、はじめはジュエリー作品を好きになってくれて、気に入ったジュエリーを購入してファンレターをくれたりすることから始まるのですが、そのうち個人的に電話を掛けてきたり、自宅まで来てしまったり、弟子入りを希望してきたり・・・!
近づいてきてはだんだんと不安定な心を見せてきて、中にはリストカットしていることなど打ち明けてくる子もいました。
私自身まだ20代で、ジュエリー作家としての一歩を踏み出したばかりの一生懸命な時期です。
その人たちがなぜそうなってしまうのか全く理解できず、混乱させられることばかりでした。
 
 
 
 
 
そうしたことは、30代になって多摩御陵の参道沿いにアトリエを構えてからも続きました。
”大正天皇・昭和天皇のお墓”である多摩御陵・武蔵陵という特別な場所柄のせいもあったと思います。
ここは1Fをカフェギャラリーにしていたこともあり、男女年齢問わずお客様として来る人々の中には宗教的な人も多く、やはり中にはそうした敏感な人たちがいて、なぜか私のジュエリー作品に妙な反応をしてしまうのです。
春先など季節の変わり目などには、バランスを崩した不安定な人が立て続けにあらわれることがありました。
 
 
 
なんでだろうか・・・?と疑問に思いながらも
ただ私が感じたのは、その人たちはとても純粋で敏感で繊細過ぎるんだろうな、ということ。
石から得るインスピレーションから透明な気持ちで生み出された作品の・・・石が何かを発していて、それが作品に触れる人々の心に響くのかな、と。
その時には、そこまでしか理解できませんでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
また、なぜか同世代の友人たちよりも「人の自死」ということに向き合わざるを得ない状況を経験してきました。
会社員時代の同僚から始まり、もしかすると私のことを想ってくれていた男性、そして彫金教室に来ていた母の知人の娘さん・・・。
それは、夢を通して見ることが多く、亡くなった人たちが「夢」を通して訴えてくることや、「夢」を超えてどうしても理解し難い不思議な「霊的現象のようなもの」を体験してきました。
時には、死んでいる人だけではなく、生きている人の思念を見ることもあり、表面上いくら良い人に見せていても、その人の本心を夢で垣間見てしまうこともありました。
残念な人間関係の終わりを迎える度に、夢で見ていたことを思い出し、自分がわかっていたことに後から気づくこともよくありました。
亡くなった人が夢に出てくることに、はじめは本当に戸惑っていましたが、受け取ったメッセージを遺族の方へ伝えると「霊的現象のようなもの」は収まることがわかりました。
 
 
 
 
 
 
彫金教室に来ていた子が亡くなった頃は、ちょうど世間では”スピリチュアル”といわれることが流行り出した時代でした。
そうした、いわゆる”スピリチュアルに傾倒する人々”がカフェギャラリーにも来るようになりました。
その時は「霊現象のようなもの」に本当に困っていたので、その人たちに紹介された「目に見えない世界」についてわかる人らしき人へ相談してみたりもしました。
しかし、こちらがお金を払って相談しているにもかかわらず、相手が悩みを打ち明けてきたり、いきなり「先生」と呼ばれたり(笑)、なぜか相手にアドバイスすることになったり・・・わけがわからない状況になるばかりでした。
この”スピリチュアルな人たち”は、おおよそ時間が経つとどこかちぐはぐな行動や言動になっていくことに気づきました。何かというと「前世」や「守護霊」など、目に見えないもののせいにするばかりなのです。
関わっていくうちに違和感を感じながらも、頭から否定しないように私なりに気をつけて接するのですが(苦笑)、あまりにも矛盾したことばかり言うので、そこを指摘して追求すると怖がって逃げて行くのです。
だいたい社会一般的に必要な常識・礼節が欠けている人が多く、「愛」や「平和」を口にするわりに利己的でずる賢い人もいて、他人を利用しようとする。
要するに「現実に起きた物事」に対して、自分に都合よく解釈するばかりで「現実的に向き合って解決すること」への努力をしないので、とんちんかんなズレを生じていくのです。
関わるたびに苛立ちを覚え、その人たちに共通している一種独特の性質に嫌悪感を持つようにもなりました。
 
それで、いわゆる”スピリチュアル”というものから敢えて距離を置くことにしたのでした。
 
その時心に決めたのは、「目に見えない世界」より「目に見えるこの現実世界」だけを見ていこう。
ジュエリー作家としてとにかく作品創作を大切にして生きていこう、というものでした。
貴石・半貴石を使う”ジュエリー”というもの自体に呪術的な要素があることは認識していましたが、その時から私は霊的感受性を閉じて、他人には一切そうしたことは口にせず過ごしてきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
しかし・・・
生まれる時に自分自身で決めてきたことはその道から外れそうになると引き戻される。
自分自身にとっての人生の課題というものは拒否していると乗り越えるまで同じようなことが起こり続けるものです。
 
 
 
普通に購入してジュエリー作品から純粋にエネルギーを受け取ってもらえればいいのですが、それ以上に私自身に依存してきてエネルギーを欲しがるような人への対応はわからないまま時は過ぎていきました。
 
 
 
 
           
 
 
 
 
 
 
 
母が亡くなって1年後。
母の遺言を果たすためのメキシコ旅行がきっかけとなり、私は自分の「生命の樹」を知ることになりました。→ Rie’s Episode:4参照
 
 
結果、悩みを打ち明けてくる人々と関わることは逃れることのできない宿命的なものだとわかりました。
それは、私の持つ本質が「調和」というものであること。
バランスを整える力を持っているのです。
それは「人」や「場」に対して力を発揮するものであり、元に戻すことができる力。
「本質」というものは、何も意識することなくできる力なのです。
よくお客様から「りえさんと会って元気になれました」「パワーをもらえました」とか、多摩御陵時代のアトリエも現在のアトリエも「居心地がいい」と言われるのは、この私の持つ本質の力だったのかもしれません。
そして、霊的感受性は生まれ持った潜在的なものであることがわかりました。
 
(私はただ普通にジュエリーを創作していたい。でも、そうはいかない・・・?)
 
私の「生命の樹」を解いたKさんからは、「普通の人は”そうなりたい”と思って努力してなるものなの。でも、りえさんは”すでにできている人”であり、”なるべき人”なの」と何度も言われました。
その時はその言葉の意味がまったくわからなかったのですが、なぜか私は「解き方を教わります」と答え、札幌まで行ってマンツーマンで伝授してもらうことになったのです。
基本だけを教わり、「りえさんには教えることってないの」「りえさんオリジナルの”生命の樹”になると思う」と何度も言われました。
 
(「なんで?」「何のこと?」と思った私。(笑))
 
しかしKさんの言葉通り、私は「カバラ」に加えて、母の遺した数々の本から独学で「マヤ文明」を学び、マヤを組み合わせたオリジナルの「生命の樹」として解けるようになっていったのです。
 
そして、私独自の方法で自分自身を紐解いた結果、さらにわかったことは私の「本質」である「調和」がトリプルあることでした。つまり人の3倍その力を持っているのです。
よって・・・「バランスを崩した人が”無意識”のうちにバランスを整えてもらいたくて私の元へ来てしまう」ということがわかりました。
今までことは避けられないことだったと理解できました。
こうして自分を知った時、これまで自分自身に起きてきた出来事がすべて腑に落ちたのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人は持って生まれた「自分自身の資質を知ること」で私のように納得するのではないか?
人生の中で辛いことに遭遇した時、自分のことを理解すれば壁を乗り越えていけるのではないだろうか?
バランスを崩してしまった時には自分はどうなってしまうのか、自分の資質の両面を知ることでバランスを取り戻して、自分の人生を生きていきやすくできるのではないか?
 
何よりも、「生命の樹」を紐解くことで、私に依存させることなく、その人に起きた問題への解決策に導けるツールになるのかもしれない、と考え、私は「生命の樹」を解くことを決心しました。
    
 
そう決めた途端、依頼してくる人が現れ続けました。
そのうちに「生命の樹」を紐解くことは、ジュエリーを生み出すことと同じエネルギーを使うことだということもわかってきて、これは「ジュエリー作家」の同一線上にあるものだと気づきました。
そして、これまで解いてきた「生命の樹」の中に、私と同じ本質を持つ人は1人も現れないということにも。
・・・Kさんに言われたことが頭をよぎります。
 
「普通の人は”そうなりたい”と思って努力してなるものなの。でも、りえさんは”すでにできている人”であり、”なるべき人”なの」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「生命の樹」を解く。
これは、私が私自身を受け入れたことへの最初の一歩となった出来事でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 

2018/01/18

Rie’s Episode:6

 
 
 
改めて「石」の「意志」を心から実感した不思議な出来事もありました。
 
 
 
 
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私は、その年の”夏のジュエリー展”のために根を詰めて制作していたことがたたって、気づけば両手はひどい痛みで腱鞘炎になっていました。
展示会が終わってからは治療に専念し、両手はギプス状態で何もできない日々を過ごしていました。
そんなある日、いつも行くお花屋さんから電話がきたのです。「吉田さん、2度目で悪いんだけど、もう一度だけ確認して欲しいと言われて・・・」
その話は、確かに去年も訊かれたことでした。
それは・・・そのお花屋さんに来る常連客のKさんという方から「亡くなった奥さんの石のコレクションを譲り受けて欲しい」というものでした。
最初にお話を頂いた時、私は「見ず知らずの人から譲り受けるなんて」「しかも素人の人が集めた石を?(←コレ、今から思うととても傲慢なのデス・・・汗)」という複雑な思いが浮かんで、そのときはスケジュール的に忙しかった時期でもあり、深く考えもせずその場でお断りしました。
それから1年経って、同じ話がもう一度きたのでした。
お花屋さんも自分の仕事で忙しいはずなのに、わざわざまた電話をかけてくるなんて「よっぽどのことなんだな」と思った私は、両手ギプスでまったく仕事ができない状態だったこともあり、「そうなんですね・・・じゃ、その方に連絡してみます」と答えました。すぐ教えてもらった連絡先に電話をして、Kさんと会うことになったのです。
 
翌日。
会いに行った場所は”ケア付き老人ホーム”でした。受付を済ませて中へ入ると・・・
そこは、まるで会員制高級ホテルのようでした。広いロビーにゆったりしたソファ、天井は高く明るくて、窓辺にはいくつかの台がありビリヤードを楽しんでいるおじいさんたちがいるのです。そうした場所に初めて足を踏み入れた私は、想像していたのと全く違うことに驚いてしまいました。
びっくりしてボーっと立っていた私に一人のおじいさんが「吉田さんですか?」と声を掛けてきました。
こうして、Kさんと対面し、応接室に通され、亡くなった奥さんがコレクションしたというルース(裸石)を見せてもらうことに。
Kさんは「石をお見せする前に、これを差し上げます」と言って1冊の本を私に手渡しました。その本には「しずこの俳句」と題名が書かれていました。
それは奥さんの趣味だった俳句や詩、イラストやデッサン、油絵、また刺繍などの作品を1冊の本にまとめたものでした。
その中には、これから見せてもらうことになっているルースのコレクション写真もありました。
終わりの方のページには、しずこさん自身の写真と最後にプロフィールが載っていました。読むと”昭和〇〇年 文部事務次官退職”との文字が。「あら~、そういう人だったのか・・・」と思い、この場所に納得いくような気持になりました。
写真のしずこさんはとても上品で落ち着いた静かな雰囲気の、でもどこか凛とした空気を放つ女性でした。
 
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そして、Kさんはテーブルの上に重ねてあった箱を開けて、奥さんのコレクションした石を見せてくれたのです。
私は「これが、しずこさんが集めた石なんだ・・・」と思いながら見入ってしまいました。
それは、ほとんどが半貴石と呼ばれるものでした。すべてのケースには、しずこさん自身が書いたであろうと思われる字で、丁寧に石の名前や特徴、採取地などが記されていました。
中には名前だけは聞いたことがある、といっためずらしい石もありました。コレクションは”宝石”と呼ばれる石は少なく・・・本当に石が好きな人が集めたというものでした。
Kさんはこれまでもあちこち譲り受けてくれそうな業者などを探したらしいのですが、「宝石じゃないから引き取れない」って言われ困っていたようでした。
でも目の前にある石たちは、まさに私の作品にぴったりとくるものばかり・・・!
「どうですか?譲り受けてくれますか?」と言われ、私は「はい、ぜひ。」と答えていました。
 
こうして、しずこさんのコレクションを譲り受けた私は、その年の秋に控えている個展の新作をこの石たちで創ってみようと思いました。
 
 
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新作ジュエリーに取り掛かるとき、まず最初にするのはルースを選ぶこと。・・・というより、石の声を聴くことから始めます。
ルースの入ったケースをすべて並べて、静かに見渡しながらスーッと感覚を研ぎ澄ますと、「作品になりたい!」という石が意思表示をするのです。それをチョイスしていくことが創作の第一段階。
その後、デザインしていく時にも選んだ石たちの声を聴いていきます。これは、Episode:5に書いた通りです。
だいたいが何も考えず無意識に描いた最初のデザインが基本となり、そこから納得いくまでパターンを何通りも描いていきます。
スケッチブック数ページになることもあれば、早々と決まる時もあります。デザインが決まる瞬間のピタッとくるその感覚はとても不思議で、「これだ!」という揺るぎない感覚になるもの。それがきっと「石の声」なのでしょう。
”ジュエリー展”として新作ペンダントを発表する数は、近年おおよそ5点~10点。こうした感覚でひとつひとつデザインしていくと、不思議なことにその時々の新作シリーズに共通するデザイン性が決まるという流れになるのでした。
 
しかし、それは私がこれまで好きで買い付けた石たちを扱ってきた手法。
しずこさんが集めた石たちを同じ方法で選んでみましたが、「本当にそうかな?」という疑問が少し残りました。
そこで、個展を企画してくれたギャラリーのオーナーにも訊いてみることに。
私が選び出した石と共にいくつかの石をランダムに加えて持って行きました。その石たちを並べて、オーナーに「気になる石を4つ選んでください」と頼みました。
新作は5つ創作する予定でした。DMにする作品はすでに完成しているので、あと4つなのです。
オーナーは「なに、なに?吉田さん?」と言いつつも、男性らしくとても冷静に真剣に選んでくれました。
すると・・・!私が選んだ石とまったく同じ4つをチョイスしたのです。
これには、本当に驚きました。でも心のどこかで「やっぱり・・・!」という思いもありました。
中には、制作するのに少々手が掛かるであろうと思われる石もありました。私なら絶対に買い付けないカットの石です・・・。
「でも観念しないとな~」と思った瞬間をよく覚えています。(笑)
そう。やっぱり「石」の「意志」はあるのです。
                                                    
 
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その秋の個展ではしずこさんの石たちを使った新作ジュエリーを発表しました。
KさんにはDMに「譲り受けた石たちを使いました」と書き、お知らせだけするつもりでご案内しました。
すると、思いがけずギャラリーに来てくれたのです。あのホームからは遠い場所にあるギャラリーだったので、私はびっくりしました。でも、びっくりしていたのはKさんの方でした。
「吉田さん、まさかこんなに早く作品にしてくれるとは思っていませんでした。実は、明日は妻の十七回忌なのです」と言われ、今度は私の方がさらにびっくり・・・!
Kさんは「法事に集まってくれる人たちに見せたい」と、しずこさんの石で創ったジュエリーの写真を撮って帰られました。
 
 
 
 
 
この出来事は、私の中でも心に強く残る経験になりました。
実は制作していた時、しずこさんの気配を感じることがあったのです。それはとてもワクワクしている様子で作業台のそばにいて、「次はどうなるの?」と言いながら、制作していく工程を見られているような感じでした。
この時の新作のデザインはどれもスッと早々描けたのですが、とても手がかかる工程が多く、普段と違うエネルギーを使っている感覚でした。それでも忠実に丁寧にひとつひとつデザイン通りに制作していきました。
この時、自宅へ帰る度に、その頃まだ生きていたセニョーラヒロコに、「りえ、なんだかやつれて〝鶴の恩返し”の”おつう”みたいよ。大丈夫?」と言われるほど。「おつうって!?でも、まさに。創る姿は見ないでください・・・って感じだよ。(泣笑)」と、自分でも毎日ヘトヘトになっていたのを覚えています。
 
 
 
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後日、お花屋さんにKさんが個展を観に来てくれたこと、そして奥さんの十七回忌だったことを話すと、カラッとしているキャラクターのお花屋さんに「それは、いい供養になったね~!吉田さん!」とサクッと言われ、「なるほどね・・・(苦笑)」と思った私。
 
 
改めて、しずこさんの思いと、石たちの「意志」に素直に従って動いた自分を認識しました。
後になって思えば・・・このことは、未来の私=現在の私へとつながる大切な出来事のひとつになったのでした。
 
 
 
 
 
~Pensamiento de piedra~
 
 
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しずこさんがコレクションしたルースで創作した作品だけの個展をすることが、人生の目標のひとつになりました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2018/01/11

Rie’s Episode:5

 

 
 
 
いつの頃からでしょう・・・
石の声が聴こえるようになったのは。
 
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駆け出しの頃は、SILVERオンリーの作品を主に創作していました。
思い描いたデザイン通りの造形を”彫刻”のよう削り出していくことが面白く、ワックスを使ったキャスト技法ばかり夢中になって制作していました。
会社員だったデザイナー時代の商品も、どちらかというとそうしたジュエリーが多かったと思います。
それがいつしか、こうして石の声を聴いて創作することになっていくとは自分でも思っていませんでした。
 
 
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思い起こせば・・・
母のメキシコ買い付け旅行へ同行する度に、様々なルース(裸石)との不思議な出会いが起こるようになり、自然と買い付けをするようになっていきました。
 
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例えば、ある街を歩いていて、軒先にTシャツが飾られている普通のお土産モノ屋さんがあって、そのTシャツが可愛くて買おうと店に寄ると私に合うサイズがなく・・・。でも、なんだかお店の奥が気になり入っていくと、まさかのルースのショーケースが!そこで、とても美しいファイアーオパールを思いがけず買うことができたり。
 
メキシコでは独立記念日が近づくと、街の中心にあるソカロ広場はとても賑わいます。地方から出てきた先住民たちが特産品を持って集まってくるようで、普段は見ることができない様々な工芸品でソカロは溢れかえってました。その中で、石ばかりが並べられている場所に偶然通りかかり、とてもめずらしいカット研磨されていいるオニキスと出会ったり。
   
 
また、かつて銀が産出されたTAXCOという街では、銀製品とルースを扱っているお店の女店主と「オパールがどれだけ好きか」という話で盛り上がりました。
すると、彼女は「これは誰にも売らないのだけれど」と言いながら、裏からとてもめずらしい色のオパールを出してきて見せてくれたのです。
それは、今まで見たことがない色のオパールでした。黒い布の上に石を置くと発光するような深い紫色に、白い布にすると淡いラベンダー色になるのです。
不思議な遊色を持つそのオパールを見れただけで私は満足していました。しかし、話の流れで私がジュエリーを創っていることを知ると、彼女は「あなたが自分自身のために創るなら」とそのオパールを売ってくれることになったのです。
作品ができたら見せにくるという約束をして。
3年後、そのオパールで創ったペンダントを持って再びそのお店へ行くと・・・なんと女店主はガンで亡くなってしまっていました。そのとき彼女によく似た娘さんが対応してくれました。作品を見せると、「あぁ、このオパール!あなたの元へいったの?」とびっくりしていましたが、私も心の中で驚いていました。
今でも時々このペンダントを身に着けるのですが、不思議なのはそれを見る人は必ずそのオパールに釘付けになるので、遊色のパターンを見せながら、このオパールを買うことになったエピソードを話すことになるのです。話す度にあの女店主を思い出し、このオパールが自分のものになった不思議を実感するのでした。
 
   
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そうした不思議な流れが次々と起こり、メキシコでは本当にたくさんの石たちと出会っていきました。
大好きなメキシコオパールはもちろんのこと、母岩付きオパール、鮮やかなブルーのラピスラズリ、化石のようなめずらしいターコイズ。特に、*オプシディアンはさすがマヤ文明の国。大きくて色々な種類のオプシディアンを手に入れることができました
こうして、手元には気に入った石がどんどん集まってきて、作品は自然にだんだんと石に合わせたものへと変化していきました。
 
 *オプシディアン(=黒曜石)は硬度があり、古代ではナイフや矢じりの先に使われていました。マヤ文明だけでなく、日本でも同じ文化があったようです
 
 
 
 
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ジュエリー作家としての私にひとつの転機が訪れたのは2002年のことでした。
私は育った八王子で再び暮らすことになって3年が過ぎていました。大人になった目線で過ごすととても新鮮で、子供の頃にはわからなかった街の魅力が見えてきました。
中でも気に入った場所が「多摩御陵・武蔵陵」の辺りでした。欅並木の参道や浅川沿いに続く桜の木々。石造りの橋からは高尾山と連なる山々が望めます。そこへ犬と一緒に散歩にいくことがとても良い気分転換になり、事あるごとにそこへ出かけていきました。
すると・・・色々な偶然が重なり、欅並木参道沿いの一軒家をアトリエとして借りられることになったのです。
都立公園に隣接するその家は、大きな木々に囲まれ、窓から見える景色は美しく、まるでどこか別荘地の山の中にいるような気分になりました。
そのあたり一帯が鳥獣保護区になっているので、庭にはたくさんの鳥たちや色々な動物が現れました。
そして、夜にはフクロウの声が聴こえてきて、木の上にはトトロがいるんじゃないかと思うような(笑)・・・街でありながら、本当に自然の中にいることを感じられる家でした。
そこで2Fをアトリエに。1Fはカフェギャラリーにして、美味しいお茶を飲みながら景色とジュエリーを楽しんでもらえる空間にしました。
 
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思えば・・・8年間過ごした自然を感じられるその環境が、創作していく感性に大きく変化をもたらしていったように感じるのです。
 
 
まず、石に合わせてデザインしていく、という感覚が磨かれていきました。
選んだ石を前にして、「どうなりたいの?」と訊ねるような感じです。
スケッチブックにパターンを描いていきますが、「これだ!」というぴったりのデザインが決まる感覚は、この自然に囲まれたアトリエで培われたように思うのです。
”自分は自然のリズムの中で生きている”ということを感じられた環境の中で得られた感覚なのかもしれません。
それは、とにかく心を静めて、自分を透明にして、”石の声を聴いてデザインする”ということへとつながっていきました。
この感覚は今でも揺るぎないものとして、デザインする度にどんどん自分が透明になっていってるような気がします。
 
 
そして、もうひとつの貴重な体験。
初めて「石」の「意志」をはっきりと感じた一場面は、今でもはっきり覚えています。。
 
その日、私はレインボーオプシディアンのペンダント制作に取り組んでいました。
黒曜石の中でも、光をあてると角度によって黒い表面に七色の遊色が浮かび上がる美しい石です。
あるギャラリーの企画した個展に向けて制作していましたが、プライベートでは当時つきあっていた彼が病気になって少し大変な時でした。
昼間は看病していたため制作する時間が足りなくなり、夜またアトリエに戻り制作していました。期日が迫っていたので、気持ちは焦っていたと思います。
ちょっとデザイン通りにいかない部分があったのですが、やり直す時間を惜しんでしまった自分がいて、なんとかこのままやってしまおうと無理やり制作を進めていたら・・・次のバーナーワークの瞬間、すべて崩れてしまったのです。
ほんの一瞬の出来事でした。私はしばらくバーナーの火を消すこともできないまま、崩れてしまった作品を見つめていました。
動揺している気持ちがありながらも、どこか冷静な自分がいて、「あ、石がそうなりたくない!」「本当のデザイン通りに丁寧に創って欲しい!」と言っている・・・、と直感的に深く感じたのでした。
 
この経験は、私にとって”自分のエゴを創作に入れていけない”ということを学んだものになったのです。
 
 
 
 *
 
 
 
 
この時を境に、どんなに時間との闘いになっても心の平静を保って「石の意志通りに創作する」ということをいちばん大切にして制作していくようになりました。
 
 
私は私が作品を創っているのではなく・・・
「私」という彫金ができるようになった「道具」として、「石」の「意志」を叶えてジュエリー作品にし、そのジュエリーを必要とする人たちとの架け橋になるべく創作しているのかもしれない、と思うようになりました。
 
 
 
 
 
~TRABAJAR  ANTES~
 
 
 
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     ~¡ MUCHAS GRACIAS ! ~
 
 
 
2017年はAtelier Simpatica設立15周年でした。
たくさんの方々からお祝いしていただきました。
 
 
 
 
 
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 ありがとうございます!
これからもずっとずっと”透明な気持ち”で創作していきます~