2018/10/09

Rie’s Episode:7

~自分自身を受け入れるということ~

 
 悩みを抱える人と向き合う・・・。
実は、このことを決心するまでに考えようによっては20年以上の歳月がかかっています。
でも覚悟を決めたのは、母を見送り、年齢が人生の折り返し地点を過ぎたこと。
そうしたタイミングの中で私自身が「生命の樹」で自分自身を知り、持って生まれてきたものを理解すると、これまで経験してきた数々の不思議な物事がストンと腑に落ちたからでした。
 
 
 
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 企業のジュエリーデザイナーからジュエリー作家へ転身したことは、自分で決めた事とは言え平坦な道のりではありませんでした。
優雅に簡単に個展をしているだけのように見えるらしいのですが(笑)、
現実はそんなものではなく・・・すべて手探りで、いろいろなやり方を試行錯誤しながら道なき道を進んできました。
「創作」ということ自体が「無から有を生み出すこと」であり、ゼロから1にすることがいちばんエネルギーを要するということ。
これは、カバラに関する書物から知ったことです。
私はそんなことは全く意識することなく、ただただジュエリーを生み出してきました。
らず知らずのうちに「目に見えない世界」に対して感覚を研ぎ澄ましていったのかもしれません。
・・・元から持っている資質なんてことは一切考えたことはないまま。
 
そして、個展に来る人たちの中には、純粋にジュエリーを求めてくださる方だけではなく・・・
なぜかバランスを崩した人というか、精神的に不安定な人が常識的な限度を越えて接近してくることが多々ありました。
みんな見た目はごく普通の若い女性で、はじめはジュエリー作品を好きになってくれて、気に入ったジュエリーを購入してファンレターをくれたりすることから始まるのですが、そのうち個人的に電話を掛けてきたり、自宅まで来てしまったり、弟子入りを希望してきたり・・・!
近づいてきてはだんだんと不安定な心を見せてきて、中にはリストカットしていることなど打ち明けてくる子もいました。
私自身まだ20代で、ジュエリー作家としての一歩を踏み出したばかりの一生懸命な時期です。
その人たちがなぜそうなってしまうのか全く理解できず、混乱させられることばかりでした。
 
 
 
 
 
そうしたことは、30代になって多摩御陵の参道沿いにアトリエを構えてからも続きました。
”大正天皇・昭和天皇のお墓”である多摩御陵・武蔵陵という特別な場所柄のせいもあったと思います。
ここは1Fをカフェギャラリーにしていたこともあり、男女年齢問わずお客様として来る人々の中には宗教的な人も多く、やはり中にはそうした敏感な人たちがいて、なぜか私のジュエリー作品に妙な反応をしてしまうのです。
春先など季節の変わり目などには、バランスを崩した不安定な人が立て続けにあらわれることがありました。
 
 
 
なんでだろうか・・・?と疑問に思いながらも
ただ私が感じたのは、その人たちはとても純粋で敏感で繊細過ぎるんだろうな、ということ。
石から得るインスピレーションから透明な気持ちで生み出された作品の・・・石が何かを発していて、それが作品に触れる人々の心に響くのかな、と。
その時には、そこまでしか理解できませんでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
また、なぜか同世代の友人たちよりも「人の自死」ということに向き合わざるを得ない状況を経験してきました。
会社員時代の同僚から始まり、もしかすると私のことを想ってくれていた男性、そして彫金教室に来ていた母の知人の娘さん・・・。
それは、夢を通して見ることが多く、亡くなった人たちが「夢」を通して訴えてくることや、「夢」を超えてどうしても理解し難い不思議な「霊的現象のようなもの」を体験してきました。
時には、死んでいる人だけではなく、生きている人の思念を見ることもあり、表面上いくら良い人に見せていても、その人の本心を夢で垣間見てしまうこともありました。
残念な人間関係の終わりを迎える度に、夢で見ていたことを思い出し、自分がわかっていたことに後から気づくこともよくありました。
亡くなった人が夢に出てくることに、はじめは本当に戸惑っていましたが、受け取ったメッセージを遺族の方へ伝えると「霊的現象のようなもの」は収まることがわかりました。
 
 
 
 
 
 
彫金教室に来ていた子が亡くなった頃は、ちょうど世間では”スピリチュアル”といわれることが流行り出した時代でした。
そうした、いわゆる”スピリチュアルに傾倒する人々”がカフェギャラリーにも来るようになりました。
その時は「霊現象のようなもの」に本当に困っていたので、その人たちに紹介された「目に見えない世界」についてわかる人らしき人へ相談してみたりもしました。
しかし、こちらがお金を払って相談しているにもかかわらず、相手が悩みを打ち明けてきたり、いきなり「先生」と呼ばれたり(笑)、なぜか相手にアドバイスすることになったり・・・わけがわからない状況になるばかりでした。
この”スピリチュアルな人たち”は、おおよそ時間が経つとどこかちぐはぐな行動や言動になっていくことに気づきました。何かというと「前世」や「守護霊」など、目に見えないもののせいにするばかりなのです。
関わっていくうちに違和感を感じながらも、頭から否定しないように私なりに気をつけて接するのですが(苦笑)、あまりにも矛盾したことばかり言うので、そこを指摘して追求すると怖がって逃げて行くのです。
だいたい社会一般的に必要な常識・礼節が欠けている人が多く、「愛」や「平和」を口にするわりに利己的でずる賢い人もいて、他人を利用しようとする。
要するに「現実に起きた物事」に対して、自分に都合よく解釈するばかりで「現実的に向き合って解決すること」への努力をしないので、とんちんかんなズレを生じていくのです。
関わるたびに苛立ちを覚え、その人たちに共通している一種独特の性質に嫌悪感を持つようにもなりました。
 
それで、いわゆる”スピリチュアル”というものから敢えて距離を置くことにしたのでした。
 
その時心に決めたのは、「目に見えない世界」より「目に見えるこの現実世界」だけを見ていこう。
ジュエリー作家としてとにかく作品創作を大切にして生きていこう、というものでした。
貴石・半貴石を使う”ジュエリー”というもの自体に呪術的な要素があることは認識していましたが、その時から私は霊的感受性を閉じて、他人には一切そうしたことは口にせず過ごしてきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
しかし・・・
生まれる時に自分自身で決めてきたことはその道から外れそうになると引き戻される。
自分自身にとっての人生の課題というものは拒否していると乗り越えるまで同じようなことが起こり続けるものです。
 
 
 
普通に購入してジュエリー作品から純粋にエネルギーを受け取ってもらえればいいのですが、それ以上に私自身に依存してきてエネルギーを欲しがるような人への対応はわからないまま時は過ぎていきました。
 
 
 
 
           
 
 
 
 
 
 
 
母が亡くなって1年後。
母の遺言を果たすためのメキシコ旅行がきっかけとなり、私は自分の「生命の樹」を知ることになりました。→ Rie’s Episode:4参照
 
 
結果、悩みを打ち明けてくる人々と関わることは逃れることのできない宿命的なものだとわかりました。
それは、私の持つ本質が「調和」というものであること。
バランスを整える力を持っているのです。
それは「人」や「場」に対して力を発揮するものであり、元に戻すことができる力。
「本質」というものは、何も意識することなくできる力なのです。
よくお客様から「りえさんと会って元気になれました」「パワーをもらえました」とか、多摩御陵時代のアトリエも現在のアトリエも「居心地がいい」と言われるのは、この私の持つ本質の力だったのかもしれません。
そして、霊的感受性は生まれ持った潜在的なものであることがわかりました。
 
(私はただ普通にジュエリーを創作していたい。でも、そうはいかない・・・?)
 
私の「生命の樹」を解いたKさんからは、「普通の人は”そうなりたい”と思って努力してなるものなの。でも、りえさんは”すでにできている人”であり、”なるべき人”なの」と何度も言われました。
その時はその言葉の意味がまったくわからなかったのですが、なぜか私は「解き方を教わります」と答え、札幌まで行ってマンツーマンで伝授してもらうことになったのです。
基本だけを教わり、「りえさんには教えることってないの」「りえさんオリジナルの”生命の樹”になると思う」と何度も言われました。
 
(「なんで?」「何のこと?」と思った私。(笑))
 
しかしKさんの言葉通り、私は「カバラ」に加えて、母の遺した数々の本から独学で「マヤ文明」を学び、マヤを組み合わせたオリジナルの「生命の樹」として解けるようになっていったのです。
 
そして、私独自の方法で自分自身を紐解いた結果、さらにわかったことは私の「本質」である「調和」がトリプルあることでした。つまり人の3倍その力を持っているのです。
よって・・・「バランスを崩した人が”無意識”のうちにバランスを整えてもらいたくて私の元へ来てしまう」ということがわかりました。
今までことは避けられないことだったと理解できました。
こうして自分を知った時、これまで自分自身に起きてきた出来事がすべて腑に落ちたのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人は持って生まれた「自分自身の資質を知ること」で私のように納得するのではないか?
人生の中で辛いことに遭遇した時、自分のことを理解すれば壁を乗り越えていけるのではないだろうか?
バランスを崩してしまった時には自分はどうなってしまうのか、自分の資質の両面を知ることでバランスを取り戻して、自分の人生を生きていきやすくできるのではないか?
 
何よりも、「生命の樹」を紐解くことで、私に依存させることなく、その人に起きた問題への解決策に導けるツールになるのかもしれない、と考え、私は「生命の樹」を解くことを決心しました。
    
 
そう決めた途端、依頼してくる人が現れ続けました。
そのうちに「生命の樹」を紐解くことは、ジュエリーを生み出すことと同じエネルギーを使うことだということもわかってきて、これは「ジュエリー作家」の同一線上にあるものだと気づきました。
そして、これまで解いてきた「生命の樹」の中に、私と同じ本質を持つ人は1人も現れないということにも。
・・・Kさんに言われたことが頭をよぎります。
 
「普通の人は”そうなりたい”と思って努力してなるものなの。でも、りえさんは”すでにできている人”であり、”なるべき人”なの」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「生命の樹」を解く。
これは、私が私自身を受け入れたことへの最初の一歩となった出来事でした。