2016/09/01

Rie’s Episode:3

~ジュエリー作家になるまで~

 

そもそもジュエリーの道へ進んだのは

「彫金」の技術を習得したい、というものからでした。

というのも、

”メキシコ展”で買い付けた銀製品のメンテナンスや、パーツなどの加工が必要になることがあり、母は修理加工をお願いできる人を探すのに苦労していたからです。

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勉強するよりも、絵を描くことやモノ創りが好きだった私。

ごくごく軽い気持ちで「自分でできるようになれば」と思い、高校卒業後”宝石専門学校”へ進みました。

ジュエリーデザイン科へ入学しましたが、その授業では制作する授業が少なく・・・技術を習得できないと判断した私は、途中でジュエリーメーキング科へ変更。

通常は2年で卒業となる同学年の人たちより、1年ほど多く彫金技術を学び、あるジュエリーメーカーのデザイン室に就職しました。

クラフトマンに受注することもありましたが、当初から自分でデザインしたジュエリーの原型制作もこなしていました。

 

 

 

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時代はバブル全盛期。入社1年目でもデザインしたジュエリーはすぐ商品化され、ブランドとして某百貨店の売り場に並べられていきます。

ファッション誌に掲載されたリングなどは、その日のうちに買いに来る人たちで対応に追われるのです。

まだ週休二日制は導入されていない時で、朝から夜中近くまで働く日々が続き・・・

そんな中、同じ専門学校を卒業して、1年早く入社していた同僚が自殺します。

同い年の人が自らの命を断ったことのショックは大きなものでした

彼女は鬱病だった、と後から知りました。

まだ「心療内科」などというのはは聞いたこともなく、いわゆる「精神科」へ行くことは隠す時代でした。

しかし、一人の人間が死んだというのに、会社の人たちは誰一人としてそのことを深く気に留める人はいない・・・。

ただただ忙殺される仕事量をこなす日常は変わらず、ほとんどの人たちがまるで臭い物に蓋をするような言動に私は混乱しました。

このことがきっかけとなり、会社内の人間関係や「大量生産」というシステムに疑問を持ち・・・

結局、1年足らずで退社を決めたのでした。

 

 

  

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そしてー

しばらく悩む日が続き・・・

ふと、「そうだ。個展をやろう」と思いつき、当時まだ全棟あった表参道の同潤会アパートのあるギャラリーに予約を入れます。

いくつかのアルバイトを掛け持ちしながら、作品を創りためていき、1年後それを実現しました。

 

ここから、年2回もしくは3回の個展をしていく活動が始まります

 

思えば、過酷な毎日だったかもしれないのですが・・・

個展を開催するごとに顧客となってくださる方々との出会い。

そして、この頃から色々なジャンルの先輩芸術家たち(画家・陶芸家・ガラス作家・版画家・・・etc)との出会いがあり、今でもつながっている大切な存在です。

 

本当に、たくさんの方たちのあたたかい気持ちに支えられてここまで続いてきました。

個展を始めた頃は、「○○作家」などという言葉はよく知らず、そんな概念もありませんでしたが・・・

気づけば、今はこうしてアトリエを持ち、知らず知らずのうちに「ジュエリー作家」になっていた私なのでした。(笑)

 

 

 

 

~Atelier  Simpatica~

 

 

 

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~EXHIBITION IN GALLERY MODESTE~

 

 

 

 

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